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まんぷく萬平のモデル安藤百福信用組合の理事長になるも破綻、その原因とは・・・


まんぷく萬平のモデル安藤百福信用組合の理事長になるも破綻、その原因とは・・・

昭和26年(1951)

百福41歳の時、新しい仕事に着手します。

でも、それは百福が心からやりたいと思っていた仕事ではありませんでした。

約2年間収監されていましたが、世間での百福に対する評価は落ちることがありませんでした。

そんな、百福に大阪に新しくできた信用組合の理事長になってほしいとオファーが入ります。

最初は金融の経験がない自分が他人のお金を預かることはできないと断りますが「名前だけで結構です」と何度も何度も頼まれ、結局引き受けてしまうのです。

百福は責任が強いので、理事長になったからには名前だけで何もしないというというわけにはいかない。

営業担当者と組合員の会社を訪問して預金を集め、自分自身も口座を作り財産のほとんどを預けた。

最初は順調に進むようにみえていましたが、だんだんと雲行きが怪しくなります。

この信用組合の問題点は、金融の専門家がいない素人集団だったのです。

貸付審査がルーズで、不良債権が目立つようになってきます。

組合に預けられたお金は親密な関係の都市銀行にその日のうちに預け、そのかわり、組合員が振り出す小切手や手形は手形交換所へと回り、そのお金は都市銀行を通じて支払われました。

資金が多少足りなくても都市銀行が面倒を見てくれるというお互いに持ちつ持たれつの関係だったのです。

それがあるときから都市銀行から経営の問題点を指摘され始めます。

不足金が設定融資限度額を超えると、都市銀行の姿勢は厳しくなります。

担保もあることだから猶予がほしいと頼み込んででも聞き入れてはもらえず、ついに不渡りを出します。

その瞬間から信頼していた都市銀行の態度が急変し、担保に入れていた組合の敷地と建物が差し押さえられてしまいます。

会長である百福も社会的責任を問われ、またしても財産を失います。

今までは失敗しても、何かしらの資産は残してきましたが、今回残ったのは池田市の借家だけでした。

責任を持てない仕事はいくら頼まれても引き受けてはいけなかったと百福は身に沁みます。

この出来事をきっかけに、百福は銀行からお金は借りるまいと肝に銘じ、日清食品は創業以来無借金経営を貫いているのです。